人間性と愛がある

そう主張しています。

2022/11/05

海浜幕張に住むK君の元に遊びに行った。その日は、高校時代の同級生であるM君も来ており、実に10年ぶりの再会になった。 M君は、外国語大学を出て地元で就職した後に東京の若い企業で働いているそうだ。自分も同じような経歴(外語大ではないが)を持つからか、価値観の同質性をひしひしと感じた。いわゆる進歩的なポジショニングとされる西洋的リベラリズムと資本主義の内面化が、その同質性の源泉だろうと思う。

特に人間関係観において顕著だと思った。独立した個人どうしが違いを認め合う・・・そういったモデルを理想として持っているのだろうと思う。 個人的には、そういった理想を自分も持っているけれど、現実的には、安全や同質さによる心地よさというものが持つ強度を過小評価しすぎなのではないかと思う。 より厳密にいうと、マジョリティである自身の”特権性”に無自覚なまま、西洋的な価値観を信望することへの無邪気さ、恐れのなさが見て取れた。

そもそもマジョリティとは原義的に多数なので、同質性が高い確率が高いということであり、心の奥底で安心できる担保がある確率が高いと思う。 そのような自身の特権性に、無自覚な状態であると、その特権が毀損されそうになったとき安心を担保するために排外的な振る舞いをしてしまうかもしれないと自分は思う。

判断の留保と無言の肯定は、他者の解釈によってしか決定されない。 だからこそ、現在判断できることは、判断するしかない。