人間性と愛がある

そう主張しています。

2020/2/24

令和2年 2020年2月24日23時 26歳 抑うつ感が強めの一日だった

今日1日を振り返る。

朝、今日は恋人よりも早く起きた。恋人が起きるのが遅かっただけだけど。 あまり覚えていないが、昼食として、卵かけご飯と鳥肉を食べた。

特に何もすることなく時間を潰していたが、思い立ってカラオケに行く。 久しぶりに組み立てられた自転車は快調で、この誰もいない道をどこまでも走り続けたいと思った。

カラオケ屋に着き、部屋に入ったはいいものの、デンモクが点かないので、店員を呼ぶ羽目になった。 自閉的な空間に(本当はそんなものないのに)浸って、自閉的な価値体系のなかでレクリエーションする、という欲望は、 機械の故障という出来事で簡単に雲散霧消し、1時間ほど他者を感じながら歌を歌う羽目になった。

居心地の悪い思いをしたカラオケを早々に切り上げ、大森方面へ向かう。 目的地は、フジバッティングセンターという昔からある施設。 しかしここで、僕は店員(店主かも?)に話しかけられるミスをしてしまう。またか、と思った。しかも今回は100%僕の過失だった。

この二つの出来事から、現在の僕は、普段どれだけ自己内における他者の存在を抑圧し、また抑圧され、忘却していたのかを、 まざまざと見せつけられる格好になった。情けなくて脱力してしまいそうだ。しかも、日記を書く今の段階に至ってようやく 言葉にすることができた。どうしてここまで愚鈍なのだろうか。

それはともかく、家に帰ったからには近しい他者との生活が待っているわけであり、かつ、相手にとっては僕の実存的悩み(この歳にもなって・・・) なんて全く関係ないのだ。結局、落ち込みを見抜かれ、まんまと慰められてしまうのだけど。

目の前には『若きウェルテルの悩み』がスピーカーの下敷きになっており、その上では友人の結婚式への招待状が提出されるのを待っている。 スノッブでもなんでもない、ただの若い自意識の迸りを感じて、「やべ〜」と思ったら、少し気が楽になってきた。

このブログは、ライフログとして、その日にあったことと思ったことをできるだけ偽らずに書くためのものだと位置づけている。 また、期待する副作用として、精神的な病理の治療と言う面もある。

現在の文字数は960文字、後40文字書けば1000文字になる。 こういう俗な思考を戒めるかどうか、まだ判断がついていない。