人間性と愛がある

そう主張しています。

2020/03/15

令和2年 2020年3月15日 日曜日 晴れ

今日1日を振り返る。

今日は、すわさんと自由が丘でもくもく会をやった。 ちゃんと会うのは初めてだったけど、無事にお話ができてよかった。

しかし、今日はカフェインを摂りすぎていたみたいで、自宅に着いた途端、胃の調子が悪くなってしまった。

カフェイン中毒的な症状は、いつも飲まなくなってからやってくる。 症状に限らず、様々な事象を認識することは、遅れてしか可能でない気がしている。

自分を振り返って見ると、任意の事象に触れている瞬間は、情動や情動に基づく意思によって思考が行われており、 事象から距離を取ってから、事象そのもの(現象学のスローガンよりも素朴な意味で)を見ることができているように思う。

また、任意の事象の中にいる時には、解釈という行為が不可能である。と言えるかもしれない。

こういうことを書いていると、ふと、客観的他者を内在的に生成するためには、時間軸が導入されるべきだと思いついた。

客観、つまり主観による主観性の排除は、解釈の一形態としてある。 解釈は、いつも振り返ることによってしか可能でない。 よって、解釈の一形態である”客観視”は、時間軸を導入して、過去を振り返ったり、未来を想像することによって可能になる。

客観視、という言葉が広く流通し、また、絶対的客観視の不可能性を主張する言説も流通している。 しかし、客観視を、解釈の一形態として捉え直すことでそれを可能にすることができるし、そうすると、さらに洗練された方法論を考えられるのではないか。

そんなことを考えながら、今日はおしまい。